社名 | 株式会社パワー社 |
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代表取締役 | 後尾 和男 |
会社設立 | 大正11年 |
資本金 | 1000万円 |
事業内容 | 理工学図書の出版 |
加入団体 | 工学書協会 日本書籍出版協会 日本出版クラブ |
所在地 | 〒162-8011 東京都新宿区水道町2-15 TEL:03-3972-6811 FAX:03-3972-6835 |
明治の終り、原田輝郎が、神戸元町の川瀬日進堂という関西地区の書籍の卸と小売をしていた会社にいた頃、出版も手がけるようになった事、それがパワー社の前身です。
大正九年(1920)には「外国貿易事務研究」という本を出版。当時大変よく売れたそうです。その後、語学関係の本を出版していました。大正十一年(1922)に神戸高等工業学校が創設され、そこに東京から清家正先生が着任。先生は「機械の完成品は部品の集団からなり、ボルト一本足りなくても機械として役に立たない。
機械製作の基本は、先ず図面から」ということで、「科学的研究に基づける製図論」を出版することになり、そこで原田輝郎と清家正先生と二人で、パワー社として立ち上げることになりました。
名前の由来は、機械は動力で動くものであるということから「パワー社」と名付けたと聞いています。カタカナの名前は当時としては大変めずらしく周囲からおどろかれたそうです。大正十二年からは神戸高等工業学校の若い先生方が機械関係の本を数多く執筆し、大変盛況だったようです。
昭和十五年(1940)、東京の神田小川町に本店を置く事になります。第二次世界大戦中は軍需工業が盛んで、機械製図の本は、相当な売行きだったと聞いています。
やがて本土空襲が始まり、東京・神戸の街を焼き尽くし、当時は出版社の命とも云うべき紙型を浜松郊外の印刷所に疎開させたのですが、運悪くこれも全焼し、壊滅的な打撃を受けました。
一時は再起不能かといわれましたが、昭和二十三年(1948)になんとか再建にこぎつけました。若い先生方の多くは出征され、復員もままならず、新規出版は困難極まりなかったようです。
1973年頃のオイルショックの時に「これからは自然エネルギーを見直すべき」と考え、自然エネルギーの本にも力を入れるようになりました。
地球破壊の危機が騒がれるようになった今日この頃ですが、これまで弊社を支えてきた製図や設計の本と共に自然エネルギーをもう一つの柱として出版していきたいと思います。