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不安と絶望の哲学者が教える「自分を愛する方法」著者インタビュー

玄文社では様々なビジネス書、実用書を出版しています。

この度、「自分を愛する方法〜恋の悩みに効くキルケゴール哲学〜」が発行されました。本書は現代人が抱える「なんとなく寂しい」という閉塞感がなぜ生まれるのか、その理由をキルケゴールの哲学を用いて探求していきます。

 

28歳の引きこもりがちな派遣OL、理子の家に突然現れた一匹の猫「せーちゃん」。人間の言葉を話すこの猫はおよそ200年前にこの漠然とした淋しさを哲学したキルケゴールの生まれ変わり。そして理子の何もかもを見透かしたように、心の奥に常にあるうまく言葉にできない不安や葛藤を一つ一つ解き明かしていく、物語で読める恋愛と人生の指南書です。

 

彼氏がいてもなんとなく淋しい。

今の仕事がなんとなくつまらない。

なんとなく毎日がパッとしない。

なんとなく自分を変えたい。でも方法がわからない。

 

本記事はこれらの”なんとなく”を紐解くキルケゴールの哲学に魅せられ、没頭した著者、ひとみしょうさんへのインタビューです。なぜこの哲学を世に広めたかったのか、どういった人々に読んでもらいどうなってもらいたいのか語っていただきました。

 

 

「なんとなく淋しい」現代だからこそ、キルケゴール哲学を知ってほしい

 

(以下、著者)本書は若い女性でも読みやすい物語調の構成です。

哲学といっていますがこの本は専門的な哲学書ではありません。あくまでも物語形式で、キルケゴールの哲学をヒントに現代人が抱える「なんとなく淋しい」という気持ちを解決しよう、というものです。

 

この物語に登場する主人公の理子は派遣社員で働く28歳のOLなのですが、彼女は多くの悩みを抱えています。給料が安いために着たい服も買えず、好きな人がいるのになかなか勇気が出せず、過去に大学受験に失敗した背景から両親との関係もうまくいっていません。

 

彼女は日々「なんとなく淋しい」という気持ちを抱え悩みながら生きています。その淋しさを紛らわすためマッチングアプリに登録しその日限りの関係を持ったり…ということを繰り返しているのですが、それでもその淋しさからは解放されません。

 

そんな理子のもとにキルケゴールの生まれ変わりである猫、せーちゃんが現れて物語が始まります。「なんとなく」という漠然とした、しかしずっしりと存在するこの重荷はなんなの?ということを一緒に考えていくのです。

 

 

現代でも役立つキルケゴールの言葉。「絶望」の哲学。

なぜキルケゴールを扱ったのか。

キルケゴールは「なんとなく淋しい」という感情の正体について、生涯を通じて追究した人物です。彼は「なんとなく淋しい」を「絶望」と言い換えました。彼自身、父親と不仲だったり、恋愛をしても全然ダメだったりと、多くの絶望を経験し、普通に生きていきたいのに、それができない。その生き辛さをずっと感じていたのです。

 

しかし、彼は父親の死をきっかけに、その辛い現実を受け入れることができました。「人生とはそもそも楽しく生きられるものではないのかもしれない」ということに気がついたのです。そこから彼は絶望の正体について哲学を始めました。

 

「自己自身になるということは、その場所での運動に他ならない」

 

彼は自著「死に至る病」の中でこう言っています。彼は人生についての考察をする中でこのような考えにたどり着いたのです。ここでいう、自己自身とは、簡単にいうと「絶望から最も遠い状態」を指します。そして、その場所は「絶望」であり、運動とは「葛藤すること」を意味すると私は考えています。

 

つまり、彼の言葉を簡単に説明すると「希望とは、絶望の中で葛藤することによって生まれるもの」ということになります。彼が言わんとしたのは、「絶望の中で葛藤しながら進むことによって未来が開けるんだ」という風に私は解釈しています。彼のこの気づきは、忙しない現代で生きる人々にも役に立つ考えだと、私は考えています。

 

企画の発端となった恋愛コラム。キャバクラの女性を取材し続けた日々。

(写真はイメージ)

私は36歳のときにライターの仕事を始めました。小学館の「Menjoy!」というWebメディアで恋愛コラムを連載し、その後「TRILL」や「マイナビウーマン」などでも恋愛コラムを書いていました。

 

ある時から、とある恋愛コラムのテーマでキャバクラで働く女性を専門に追いかけ、彼女たちが抱える恋愛や人生の悩みを研究することになりまして。キャバクラには、家に帰りたくなくて営業後に毎晩ホストクラブやゲイバーに通い詰める女性もいれば、有名大学への受験に失敗したことで両親との関係がうまくいかなくなり、父性を求めて父親と同年代のお客さんと付き合っている子などがいて。

 

取材をする中で気がついたのは、キャバクラには様々な人々の「淋しい」が集まっているということです。

 

「なんとなく淋しい」感情は、私自身も抱えている悩みでした。初めてその気持ちに気づいたのは10歳のときです。親戚の家から帰るときに「楽しかったな」という気持ちだけでなく「淋しいな」という気持ちを抱えていることに、俯瞰して気付いたのです。自分を俯瞰するようになってから、自分はどこか冷めてしまって、人生をイマイチ楽しめていませんでした。高校生の頃もみんなが部活を必死に頑張っているのに、私は何も打ち込めるものがなくて。何かに熱中している人が羨ましかったです。

 

そういう自分自身の気持ちもキャバ嬢と関わる中で思い出したりしたこともあって、恋愛コラムの延長でこの本を書こうと思ったのです。ただそれをどう表現すればいいのかわからず、そこで通い始めた大学でキルケゴールという哲学者を知り、彼の生い立ちや考え方に感銘を受けそこから2年間キルケゴールについて研究し、その結果生まれたのが今回の企画です。

 

「なんとなく淋しい」状態を認識する

第2章で「気を紛らわすためのセックス」について語っています。ここはこれまでの僕の取材経験の集大成。ここを書ける作家はなかなかいないと思います。マッチングアプリやツイッターの裏垢を使う女子はどうして病んでいるのか、なぜ誰とでも寝てしまうのか。この章を読むとその理由がよくわかります。

 

例えば、マッチングアプリを使ってる人は若い世代の方々には多いかと思いますが。「釣るのが楽しい」という女性がたまにいますよね。男を転がすのが楽しい、と。そういった「釣るのが楽しい」女性は、男性を釣ることで自分の存在を実感しているのだと思います。キャバ嬢もお客さんに対して同じような感覚を抱いている方が多かったです。また私が最近まで通っていた大学の同級生にも「男を取っ替え引っ替えしていること、それが楽しい」という女性がいました。

私はその行動を否定はしません。ただ彼女たちは自分が絶望していることに気付いていない、そこに問題があると感じています。絶望に気がつき、そこを見つめない限りたとえ男を取っ替え引っ替えしたとしても、淋しさの渇きは満たされるでしょうか。私はそうは思いません。海水を飲むように、その渇きは増していくばかりだと思います。

 

だからキルケゴールの哲学が必要なんです。自分の絶望を認識すること、受け入れること、今を生きることが大切です。キルケゴールは「絶望とは死に至る病である」という言葉を残しています。絶望を認識しているかそうでないかで生き方が変わってくるのです。

 

いかに自分を愛するか

この本はいかに自己受容が大切か、ということを書いています。結局のところ、自分のことを受け入れて愛せないと、他人のことを愛することもできません。でも、自分を愛することって、言葉では簡単でも実際にはなかなかできないですよね。

 

特に現代を生きる人たちはSNSなどがあることから「自分が他人にどう見られるか」「他人はどんな生活をしているのか」ということばかり気にしています。自分を他人と比較することは必ずしも悪いことではありません。しかし、そのバランスを大切にしないと、「あの人はあんなに派手な暮らしをしているのに、自分は……」というように、ますます自分を愛することができなくなってしまいます。

 

そうならないためにも、他人と自分を比較するのではなく、今ある現場をそのまま受け入れることが大切なのではないでしょうか。過去の出来事など自分の胸に刺さっているガラスの破片に目を向け、それを一つずつ受け入れていく。人間は過去の出来事で形成されているのですが、これは「なんとなく淋しい」の正体でもあります。過去を受け入れて今を生きることがなぜ大切なのか、ということにも「自分を愛する方法」の中で伝えています。

 

 

キルケゴールを知って「今この瞬間を楽しもう」と思った

私自身、キルケゴールを研究した結果とても大きな影響を受けました。それまでは「なんとなく淋しい」という気持ちを掻き消すように毎日毎日忙しく仕事をしていました。仕事をたくさんすれば解決されるだろう、と思ったのです。

しかし彼の哲学を知り、「今この瞬間を楽しむかどうか」が大切だと気が付きました。例えばこの今の話をすると、この後のスケジュールよりも、今このインタビューをどう良くするかが大切だ、ということです。過去や未来ではなく、今です。

 

こうして自分なりの答えを見つけたとき、未来のことや過去のことをくよくよ考え過ぎたり、今を見つめようとせずせかせか働いても意味がないと思うようになりました。それからは手帳に不必要なことは書かず、ゆっくり時間を感じて生きています。今はコロナの影響もありますが、かなりのんびり生活しています。肩に力を入れず、自分の気持ちを大切にして自然体です。

 

希望を自家発電できるようになってほしい

恋愛コラムニストの経験から、この本の読者は20代〜30代の女性に向けて書いています。ですが内容は特に男女関係なく読んでいただけると考えています。玄文社の社長、後尾さんにも「大人の男でも参考になる箇所が多かった」と言っていただきました。年齢や性別に関係なく、元気がない方全員に読んで欲しいですね。この本を読むことで、多くの人に自分を愛せるようになってもらいたいと思っています。

 

ー 編集後記 ー

今回ひとみしょうさんにインタビューさせていただいたこの記事の筆者の私は、31歳女性、日夜仕事に明け暮れ、恋愛はそこそこ。独身のO型です。

本を読んでいて、思わず理子に過去の自分を投影してしまいました。

仕事のことで言えば、20代の前半はやりたいことも見つからず、ただエネルギーだけは有り余っていてどこかの何かに熱中したいのに、それが何なのかがわからない。手当たりしだいに試してみるけれどどれもピンとこない。毎日の気分の波が激しく自分で自分が嫌になるくらいだったのを思い出します。

この本の中で、キルケゴールが淋しさを絶望と呼んだという一節は、胸を撃ち抜かれたような共感がありました。

誰かと一緒にいるのにどこか楽しくなかったり、そんなに好きでもないのに不安を打ち消すために友達以上の異性をキープしておいたり、本当は腹の底から笑いたいのにそんな瞬間が無い、という人は沢山いるのではないかと思います。過去の私もそうでした。

常識や目に見えない社会のルールや価値観に自分を当てはめようとして、評価ばかり気にして。周りはみんなリア充なんじゃないかと錯覚していて自分だって日々を楽しめるんだから!と間違った方向に走っては誰と何をしていても物足りない。挙句の果てには「自分探してくる」と、海外に長期で行ってみたりして(完全に私の話です。)。

せーちゃんはそのジワーッと心のなかに広がる重苦しい塊をじわじわと溶かしていってくれるような存在です。

自分を見つめ、今を感じる。

業務タスクが多かったり、忙しいとそんなことは忘れ、自分のことは後回しにしてしまいがちですが、一気読み出来るこの本がすぐに実践できる方法を教えてくれます。ぜひ「私のことかもしれない」と思った方には呼んでみていただきたい一冊です。

 

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